長南洋一
cyoic****@maple*****
2013年 8月 28日 (水) 09:06:52 JST
長南です。脇筋に反応しているような気もしますが。 元木さんのメールより [JM:00900] > > 今回の議論とは直接関係ないかもしれませんが、今回のやり取りを読みながら > 以下の点を感じました。 > ・古い翻訳を公開し続けることは意味のあることなのでしょうか? > その時点ではよい品質だったかもしれませんが、時間がたって実状と合わなくなると > それは品質を維持できているとは言わないと思います。 > 品質を維持するためには、身の丈にあった量の翻訳を管理すかないように思います。 前にも同じような議論をしたと思いますが、わたしとしては少し考えが 変わってきました。英語まじりについては、認めてもよいんじゃないか という気になっています。 「実状に合わなくなる」というのは、具体的にどういうことなのでしょう。 元木さんは、主として LDP の man page のことが頭にあるのではないで しょうか。 マニュアルには、リファレンス・マニュアルと入門用のマニュアルがあります。 細かい仕様が書いてあるものも、家電に付いてくる取扱説明書も、どちらも マニュアルです。 マニュアルの翻訳は、その対象の最新バージョンに対応しているべきだ というのは、当然のことです。しかし、リファレンス・マニュアルと 入門用マニュアルでは、少し事情が違います。 LDP の man page は、書く側にとっても読む側にとっても、まさに リファレンス・マニュアルでしょう。関数に仕様の変更があった場合や 新しい機能が追加された場合 (あるいは逆に、ある機能が削除された場合)、 man page にその記述がなければ困ります。こういうものは、配布している 関数などとマニュアルのバージョンが一致していなければ、役に立ちません。 つまり、マニュアルが最新であることが必要なわけで、翻訳者の負担を 考えると、一部分英語まじりになっても、仕方がないだろうと思います (英語の部分があまり大きくなりすぎると、翻訳だか何だかわからなく なってしまいますけれど)。 一方、coreutils や find のような基本コマンドのマニュアルも −− POSIX の man page がよい例ですが −− 基本的にはリファレンス・マニュアルです。 特に、マニュアルを書く側の意識にとってはそうなので、find や sudoers の man page のように、詳しすぎて、ほとんど通読不可能ものもあるわけです。 しかし、読む側は −− 特に初心者や中級者は −− 一般的な使い方を知る ために読みます。つまり、そういう人たちにとって man page は、入門用 マニュアルなのです。たいていの場合、新たに追加された最新の機能は必要 ありません。基本的な使い方さえわかれば充分です。そこで、マニュアルの 翻訳のバージョンが古くても、説明が事実に反していず、ある程度親切ならば、 役に立つということになります。市販のコマンド・リファレンス・ブックなんて、 そんなものでしょう。 # たとえば、最近の split では、suffix の付け方というか、suffix の # 生成方法が変わったようです。また、ラウンドロビン方式の分配が導入 # されました。作者としては、是非知ってほしいことなのでしょうが、 # 普通のユーザにとっては、どちらも知らないですむことです。 # もちろん、そういう説明だって、あるに越したことはないのですが。 ただし、説明が事実に反するようになってしまった場合、たとえば、 オプションの指定法が変わったとか、存在していた機能が削除されたとか いった場合は別です。そういった場合は、マニュアルの翻訳が 90 % 通用する としても、ちょっとまずいだろうと思います。 では、基本的なコマンドの man page も最新バージョンの原文を使うことに して、未訳の部分や、変更のあった部分は英語にしておけばよいのか。LDP の man page の場合は、プログラミングをやるなら、事実上英語は一通り読め なければなりませんから、それでよいと思います。でも、それ以外については、 一般ユーザに英文を読ませるのは、ちょっと要求のしすぎでしょう。Linux が とっつきにくいものになると思います。 # ちょっと脱線します。coreutils の info の 8.17 から 8.20 では、 # @acronym{POSIX} という表記が POSIX になっているところが 270 箇所 # ぐらいあり、そうしたところも po4a では fuzzy になります。 # fuzzy のパラグラフは、そのままだと、英語になってしまうのでしょう。 # 日本語の翻訳が問題なく使えるところでも。 # # そうしたことを考えると、新しいバージョンが出たが、翻訳している # 暇がない、とりあえず、po4a-updatepo を使って英語まじりで追随して # おこう、では必ずしもすみません。前の訳文が使えるところまで英語にして # しまわないためには、やはり、内容のチェックを人間がやる必要があります。 # つまり、英語まじりを認めたとしても、いつでも機械的に追随できるとは # かぎらないということです。 では、どうしたらよいのか。LDP のような情報が最新であることが必要な マニュアル以外は、わかりやすい原則は立てられないと思います。内容を見て、 現状に合っているかどうか、まだ役に立つかどうか、判断するよりありません。 一つ一つのマニュアルについて常時それをやるのは、大変すぎます。ですから、 翻訳者や管理者の負担を考えると、「益よりも害が大きくなっている」と たまたま気がつくか、その旨の指摘があるまで、あまり気にしないでもよい のではないかと思います。つまり、ほっぽっておいて構わない。この前に やった棚卸しのようなことは、ときどきやるべきだと思いますが。 > ・パッケージ毎、バージョン毎の配布は必要なのではないか。 > ディストリビューションが採用しているのと同じバージョンの翻訳を > 取り込めるようにした方がいいのではないかと思い始めました。 LDP のようなものについては、そうですね。複数バージョンの配布ができる として、ピッタリのバージョンがない場合、より新しいものを選ぶか、一つか 二つ古いものを採用するか、そのへんはディストリビューション側で考えて もらえばよいわけですし。 それ以外のものについては、あまり気にしないでもよいのではないでしょうか。 改訂したばかりのものを除けば、どうせ古いのですし。 -- 長南洋一