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2003-05-21 22:29
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(del#1141)
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『Free as in Freedom』の第12章「A Brief Journey Through Hacker Hell」の訳文(速水善朗訳)です。
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Japanese
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第12章 ハッカー地獄の小さな旅

リチャード・ストールマンは、キヘイの街を抜ける交差点の信号が変わるのを、レンタカーのフロントガラス越しにまばたきもせずにじっと見つめながら待っていた。

私たちふたりはパイアの街の近くを目指していた。そこで、あるプログラマとその妻たちと夕食を共にしようと、1時間後ぐらいに落ち合う予定だった。

マウイ・ハイパフォーマンス・センターでのストールマンの講演の2時間ばかり後、スピーチの前にはたいへん歓迎的に見えたキヘイの街は、今ではずいぶん非協力的になったようだ。たいていの海辺の都市よろしく、キヘイは、郊外が薄っぺらに拡がっていた。ハンバーガー屋や不動産屋やビキニ・ショップが際限なく続くメイン・ストリートをクルマで走ると、巨大な拝金サナダムシの消化管を飲み込まれて行く、鋼鉄でコーティングされた一片の食物になったように感じずにはいられない。脇道が無いことが、その感情をさらに悪化させる。前以外にはどこにも進みようがなく、春のようなうごめきの中で、クルマは進む。200ヤード先、信号が青に変わる。私たちが動き出す前に信号はまた黄色に変わる。

ストールマンは東海岸が終の棲家で、太陽に満ちたハワイの午後のいい時間を、渋滞にはまって過ごすというのは、塞栓症を引き起こさせるに十分だった。4分の1マイル前で右にさっと曲がっておけば、こんな状況はぜんぶ簡単に回避できていた、なんて知っているからさらに悪い。残念ながら、私たちは前の運転手のなすがままだ。この運転手はパイアへの道を知っている研究所のプログラマで、近くのピラニ・ハイウェイではなく景色のいい道を使って私たちをパイアに連れて行こうと決めていたのだった。

「こりゃ、ひどいな。」いらだったため息の合間に、ストールマンは言う。「どうして違う道にしなかったんだろう?」

再び、4分の1マイル先の信号が青に変わる。そして再び、自動車一台分ちょっとをのろのろ進む。近くのハイウェイへとアクセスできる大きな十字路へとやっと至るまで、こんなプロセスはもう10分も続く。

前に座っているドライバーは、それを見過ごして、交差点を通過する。

「彼はどうして曲がらないんだ?」ストールマンはいらいらして腕を振り上げながらうなるように言った。「信じられるかい?」

私はそのどちらにも答えないことにした。ここマウイでストールマンが運転するクルマに乗っていること自体が十分に信じられない話だ。2時間前までに、ストールマンが運転の仕方を知っているなんてことさえ知らなかったのだ。今は、カー・ステレオから流れてくる、ヨーヨー・マのチェロ演奏「Appalachian Journey」の悲しげなバスの響きに耳を傾ける。それから左手に夕陽が沈んでいくのを見ながら、私は車の室内装飾品に紛れ込もうと精一杯努力した。

道を曲がる次のチャンスがついにやってくると、ストールマンは、前の運転手に合図をすべく右への方向指示を出した。うまくは行かなかった。またもや、交差点をのろのろ進んだ。次の信号まで200ヤードは優にある。今やもう、ストールマンは激怒していた。

「彼は、わざとぼくたちを無視しているようじゃないか。」彼は、飛行機の地上誘導員みたいなジェスチャーとパントマイムをして、言う。ガイドの目をひこうと無駄な努力をして。ガイドは動じないようだった。次の5分間、私たちには、バックミラーに写る彼の頭がちょこっとだけ見えていただけだった。

ストールマンの側の窓を見た。カホオラウェ島とラナイ島付近は、沈んでいく太陽を、理想的な額に切り取ってくれる。息を呑むように美しい光景だ。もし、ハワイ人だったら、こんな瞬間、もうちょっとは我慢できるかな、と思った。ストールマンにそっちに注意をひかせようとした。でも、ストールマンは、前の運転手の不注意に今は頭がいっぱいで、しらんぷり。

運転手は、青信号をもう一個通過した。「ピラニ・ハイウェイ 右」をきっぱりと無視して。私ははぎしりをした。BSDプログラマのキース・ボスティックからはやいうちに伝え聞いていた警告を思い出していた。「ストールマンは、よろこんで愚かさを耐えることはしない。」ボスティックは私に警告した。「誰かが何かまぬけなことを言ったりやったりすると、『それは愚かだ』と目を見つめて言うんだ。」

前に座っている気の利かない運転手を見て、ストールマンに苦痛を与えるのは、融通がきかないことではなくて、愚かさだということを、すぐにも理解した。

「彼はまるで、どうやって行けば効率的かをまったく何も考えずに、ルートを選択したみたいなじゃいか」と、ストールマンは言う。

「効率性」ということばが、汚臭のように空気を支配した。非効率をおいて、ハッカーの心をいらだてることばはそうはない。ストールマンに、プリンタのソース・コードを研究しようと最初に思わせたのは、一日に2度も3度もXeroxのレーザープリンタをチェックする非効率だった。ストールマンに、Symbolicsと戦わせ、GNUプロジェクトを立ち上げさせたのは、商用ソフトウェア・ベンダがソフトウェア・ツールの書き換えを乗っ取ることの非効率性だった。もし、ジャン・ポール・サルトルがかつて言ったように、地獄とは他人なのであれば、ハッカーの地獄とは他人の愚かなミスを繰り返すことだ。そして、誇張ではなく、ストールマンの全人生は、そういった深い奥底から、人類を救い出そうという試みなのだ。

ゆっくりと流れる景色を見るにつけ、地獄という比喩は、なおのこと明確になっていった。たくさんの商店や駐車場や上手く時間調整されてない街灯が並び、キヘイの街は、市というよりはかえって、下手くそに設計されたソフトウェア・プログラムのようだった。都市計画担当者は、交通を再整備しクルマの流れを分配するのではなく、たった一本のメイン・ストリートへとすべてを流れ込ませるようにしてしまったのだ。ハッカーの観点からすれば、こんな無茶苦茶の真ん中でクルマに座っているのは、黒板を爪でひっかいたようなCDを大音量で聴いているようなものだった。

「不完全なシステムは、ハッカーを激怒させる。」スティーブン・レビーは述べている。これは、ストールマンとともに車に乗り込む前に聞いておくべきもうひとつの警告だった。「ここに、ハッカーが一般にクルマの運転を嫌うもうひとつの理由がある――赤信号がランダムにプログラムされていたり、一方通行が奇妙に配置されていたりというそのシステムは、遅延を引き起こす。それは、いまいましく「不必要な」[原著者注:スティーブン・レビーによる強調]もので、標識を再整備したり、信号のコントロール・ボックスを開いて…、システム全体を再設計する衝撃に駆り立てるのだ。」1

とはいえ、もっといらいらさせるのは、信頼をおいているガイドが二枚舌を使うことだ。――本物のハッカーなら誰でも本能でやってしまうように――賢い近道を探し出すのではなく、前のドライバーは、都市計画者のゲームにずっと付き合おうとしているわけだ。ダンテの『神曲』に登場するベルギリウスのように、ガイドは、僕らが欲しているか否かはおかまいなしに、ハッカー地獄へのツアーを完全にガイドしてくれることにしたわけだ。

ストールマンとこんな話をしようとするより前に、運転手はついに、右に曲がる合図を出した。ストールマンは、すこしリラックスしたように肩をおろした。そして、ちょっとの間、車内の空気が和らいだ。しかし、緊張感が舞い戻った。前の運転手が速度を落としたのだ。「前方工事中」の標識が道の両側にあった。ピラニ・ハイウェイまであと4分の1マイルもないというところなのに。いまいる2車線の道とハイウェイは、動いてないブルドーザーと大量の土砂で閉鎖されていた。

私たちのガイドが前方でぎこちなく五角形型にUターンし始めるのを見て、ストールマンは、何が起きているのか理解するのに数秒かかった。ブルドーザーをちらっと見ると、ちょうどその上に「通り抜け不可」と表示が出ていた。とうとう、ストールマンの堪忍袋の緒が切れた。

「なんでだよ? なんでだよ? なんでだよ?」彼は泣きそうに、頭を後ろに投げ出した。「道が閉鎖されているのを調べておくべきだったんだよ。この道が使えないことを知っておくべきだったんだよ。お前、わざとやったんだろう。」

運転手は、方向転換を完了させて、メイン・ストリートへと戻した。彼はそうしながら頭を振って我々にすまなそうに肩をすくめて見せた。歯をむきだしてにやにや笑う顔と合わさって、その運転手のジェスチャーは本土の人間のいらだちを少しは表していたが、島の人間の運命論により和らげられていた。レンタカーの閉じた窓からは、あっさりとしたメッセージが飛び込んできた。「ヘイ ここはマウイだ どうするつもりだい?」

ストールマンはもう耐えられなくなった。

「笑うな!」彼は怒鳴り、窓ガラスが曇った。「あんたのせいだ! ぼくのやり方でやっていればすべてはもっと簡単にことが運んだんだ。」

ストールマンは、2度も身を乗り出して、ハンドルを握って、「ぼくのやり方」のところにアクセントを置いた。ストールマンが急に怒り出すその様は、こどもがクルマのシートにかんしゃくを投げつけるようだった。ストールマンの声でなおもまたそう見えたのだった。憤慨と苦痛が半ばして、ストールマンは泣き出しそうだった。

運良く涙は出ずにすんだ。夏の日の夕立のように、始まったと思ったらすぐに不機嫌は直った。愚痴っぽいあえぎ声を上げた後、ストールマンはギアをバックに入れ、Uターンさせた。メイン・ストリートへ戻ったときには、彼の表情は30分前にホテルを出たときのように無表情になっていた。

次の交差点までは、5分もかからなかった。そこからは簡単にハイウェイにアクセスできた。たちまち、リラックスできるスピードでパイラに向けて疾走し始めた。ストールマンの左肩の上に黄色くぼんやりと差していた夕陽は、今は、バックミラーのなかで冷めたオレンジ・レッド色に燃えている。太陽は、ハイウェイ両側のウィリウィリの木をその色に染めている。

次の20分、クルマのエンジンやタイヤのまわりの雑音を除けば、クルマに響いていた音といえば、アパラチアの悲しげなフォーク音楽を演奏するチェロとバイオリンの三重奏だけだった。

脚注

  1. Steven Levy, Hackers (Penguin USA [paperback], 1984): 40.(スティーブン・レビー著『ハッカーズ』工学社, 1987/02)参照のこと。